フリーランスFPのblog
万FP
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クリスチャンじゃない

 ピンポーン。

 ウチのマンションのインターフォンは思いの外けたたましい。

 丁度ニチアサを観終えたところで、これから仕事でも軽くしようかなと思い立った矢先の出来事だった。

 ここ最近、何かをネット注文した記憶がない。

 とすれば、奥様が何かを買っていたのだろうか。その肝心の奥様はまだベッドの中で寝ているけれど。

 仕方なく炬燵から出て行き、来訪者の顔を確認する。

 ウチはオートロックだ。来訪者の顔はインターフォンの画面に映し出される。そのため、こちらは一方的に画面越しに相手の顔を覗き見ることができる。

 ご年配の方だった。それも、腰の折れたおばあ様。見た目七十代から八十代の方に見受けられる。いや、最近は元気なご年配も多いので、何とも言えないけれど。

 しかし心当たりがない。何しろ奥様も含め、近所付き合いもほとんどなければ、私の仕事は家の中で完結する。

 はて、どうしたものか。

 悩んでいても仕方ないので、とりあえずインターフォン越しに出ることにした。

「どちら様ですか」

「わたくし、主の教えを説きに回っている者でございます」

 なるほど。ここまで聞いてわからない者もいない。

「本日は旧約聖書の中の教えを一つお話ししようと思っているのですが、ご主人は聖書をお読みになられたことがございますか」

「ええ。というか持っていますので」

「あら。私と同じクリスチャンだったとは」

 クリスチャンか。

 何と返答したものか迷ったが、話の流れもあり、とりあえず肯定の返事をした。

 その後彼女は嬉々として旧約聖書の一節を話し始め、途中でブツっとインターフォンの通信が切れた。

 あ、忘れていた。インターフォンは一定時間が経つと相手との通信が切れてしまう。

 どうしたものかと思案しているうちに、奥様が寝室から起きてきてこちらにやってきた。私と彼女のやり取りがうるさくて起きたらしい。そうだ、存外にインターフォンの音声は大きいのだ。

 そうこうしているうちに、また彼女が呼び鈴を押してきた。

 私は彼女を確認すると、どうしたものかと奥様に投げかけてみたが、

「やめときなよ」

 その一言で出るのを躊躇った。

 彼女はしばらく不思議そうにこちらを見ていたが、しばらくするうちに帰っていった。

 インターフォン越しの様子だったので、当然彼女にはこちらの姿など確認は取れていないだろう。

 胸の中に小さなわだかまりができた。

「実は、知り合いが彼女の属する宗教ではないけれど、そういう団体に属している人がいるんだ。何度か集会に誘われて行ったことがあるけれど、存外に怖いものじゃないよ」

「へー、そうなんだ」

「宗教と言っても、何も取って食おうとする団体じゃない。きっと彼女も救われた経験があって、善意で訪問しに来たにすぎないんだろう」

「でも、家にまで来るのはさすがに怖いよ。いくら善意でもさ」

 そういうものだろうか。

 しかし、営業マンが突然訪問してきたとしても、奥様は驚かないのだろう。

 きっと、彼女が崇拝しているから、恐れたのだ。何かに傾倒する者は、何にも心を動かされていない者にとっては異質な者にしか映らない。過去の私もそうだった。奥様を否定することはできない。

 後ろ髪を引かれた思いがしたのは、彼女が腰を曲げたご年配だったからにすぎない。でも、それはただの思い込みで、不要な心配だ。人は外見じゃ何も判断できない。もし彼女を家に招き入れたとしても、彼女と一体何を話していただろうか。何も話すことなんてない。ましてや、話したいこともない。

 つまり私もまた、思い込みと先入観に心が縛られている。まだまだ若造の端くれだ。

 いや、でも、待てよ。彼女も言っていたじゃないか。私が聖書を持っていると言っただけで、私のことを「私と同じクリスチャンなんですね」と。

 私が聖書を所持している理由は単純な好奇心からだ。大学時代、デザイン学部にも関わらず宗教哲学を取っていた。また、幼少期から仏教やキリスト教などの関連書物によく目を通していた。聖書は長編小説のようなもので、一度読んでみるとなかなか面白いのだ。

 つまり、聖書を持っているからと言って、必ずしも所持者がクリスチャンとは限らない。私はどちらかと言えば無宗教者に近い存在だ。そのため、幼い時から様々な宗教の考え方を学ぼうと雑多に本を漁ってきた。

 去り行く彼女の背中は寂しそうに見えた。しかし、そこに私の手を差し伸べることはできない。外を眺めると雪が深々と降り積もっていた。

 私はクリスチャンじゃない。

あとがき

 この日記は実話を基にしたフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

 また、アイキャッチ画像は親友の無忙庵さん(https://photopool.bts-works.com/ )から許可を得て拝借しています。

 彼の写真はいいものが多いので、興味があれば是非支援してください。